氷上の軌跡 -#88中村竜登-

【忘れてはいけないのは挑戦と感謝】

これが最後のブログのテーマです。
これまでのブログで僕は偉人の言葉を借りたテーマを付けてきました。それは、自分のその時の考えが最も端的にまとめられると考えていたからそうしてきました。
ですが、今回の最後のブログは自分のテーマで自分の思いを述べて行けたらなと思っています。

自己紹介が遅れましたが、法学部4年#88 中村竜登です。
最初に言っておきますが、今回は長いです。それもかなり。最後までお付き合いください。

余談から入りますが、つい先日、母校の岡山学芸館高校が全日本高校サッカー選手権で全国制覇を成し遂げました。母校の後輩達が頑張る姿には胸を打たれるものがありますよね。
それを東京で自宅から観戦した後にふと、その日と数日先の予定が何もない自分がいる時に「あぁ、本当に俺ってもう引退したんだ。学生全部終わったんだな。」と急に実感してきた気がします。
不意に実感するものなんですね。

そんな実感から僕のこれまでのアイスホッケー人生を振り返ってみたいと思います。

父の会社の同僚がクラブチームの監督をしていたことから勧誘される形で始めたのがきっかけでした。5歳頃だったと思います。
始めた当時から小学1年生頃まではプレイヤーでしたが、この頃は試合に出たとか楽しかったとかほとんど記憶はないです。習い事だからやっている程度だった気がします。

転機となったのは小学2年生の時、当時チームにキーパーが必要となり、コーチに指名される形でキーパーになることが決まったことです。恐らく同年代の選手の中で1番下手で伸び代がなかったからだと思います(笑)。
そこから小学生の間は弱小チームで試合に出る度緊張して、大量失点して大敗するばかりで、高学年の時初めて3位になれただけでも嬉しかった記憶があります。(中四国の中なのでかなりチームも少なかったですが笑)

そこから中学、高校はゴールキーパーとしての面白みも感じだして、自分の意思でそのまま岡山に1つだけのクラブチームに進むことになります。中学時代は試合こそ出るものの、全く評価はされず、1度も中四国選抜や全国大会の舞台は経験することがありませんでした。

しかし、ここで下手に評価されていれば中途半端に出来ると勘違いして高校は留学していなかったと思います。
そんな何もない自分を変えたいと思い、高校時代はシドニー留学をして現地でもアイスホッケーをしました。(初回の僕のブログでも書きましたが。)この時に挑戦するマインドが身についたからこそ大学でもアイスホッケーを挑戦しようと思い、今に至ることになるわけです。

そして大学入学後、覚悟はしていましたが、やはり苦難の連続でした。
僕が入学した年に卒業された当時の4年生の金子さん('18年度卒 #1 金子将太朗)から「君は人一倍苦労すると思うけど、最後まで頑張って」と言われたことの意味をこの時痛感しました。
当然のようにチームには世代別日本代表の選手がいて、当然のように選手は言われたことが全て出来る。陸トレでは同じグループや同期に迷惑をかけないようにと思っても、体はついて行かず最後の方を走るだけ。
いかに中高6年間で自分が何も出来ていなかったのか、レベルの差が違いすぎる中でしがみつくのがやっとの4年間でした。

スポーツ推薦では無い自分にとっては、きっと部活に入らず、普通の大学生活をしていた方が楽なことも多かったと思います。それでも最後までやったからこそ見えた景色もあります。
全国制覇を目指す集団で、今まで知らなかった常勝チームとしての選手の価値観を学べたこと。
辛い時期も支え合った同期という存在の大切さ。
試合にはほとんど出られず何も貢献出来なかった僕ですが、インカレの1回戦でベンチ入りした時、後輩や同期が僕が出られるように点を取り、盛り上げてくれたこと。
辛いことの方が多かったですが、数え切れないほどの多くのことを学び、色々なことを与えてもらった4年間でした。
だからこそ、色々な人に感謝したいと思っています。

まずは先輩方
読んでくださっているかは分かりませんが、僕がこのチームに入ってから1年目に何とか辞めずにやってこれたのは先輩方が優しく、時には厳しく叱ってくださったからだと思っています。
岡山からいきなり来たよく分からないヤツだったと思います。それでも受け入れてブロと呼んで可愛がってくださったからこそ、今の自分があると思っています。
ありがとうございました。

そして同期へ
また集まると思うのでその時に言うとみんな言っているので、僕もそうさせてください、その時は感涙にむせびながら僕の話を聞いてください笑。

後輩達へ
正直、アイスホッケーで何もお手本になるようなことも無く、寮にも住んでいなかったので1番何もしてやれなかった不甲斐ない先輩だったと思います。本当に申し訳ない。来年以降みんなが優勝する姿を楽しみにしています。
そして僕からはみんなに言うとしたら「自分の意見を持った大人」になって欲しいと思います。人の言うことをただ聞くだけじゃなくて自分なりの考えとか意見を持った芯のある格好良い大人を目指してください。

最後は両親
多分会ったらふざけてロクなことを言えそうにないのでここで述べておきます。ここまでアイスホッケーを含めて色々お世話になりました。
「やりたいことをやりなさい」と常々言って、アイスホッケーも留学も挑戦したいならやりなさい、大学も行きたければ行きなさいと行かせてくれました。おかげで超一流のスネかじり息子が爆誕してしまいましたが、何にでも新しいことができたのは、2人が後押ししてくれたからこそだと思っています。
これから超一流のスネかじラーから超一流社会人になる予定なので安心してください。

最後になりましたが、自分はここまで本当に多くの人に支えられてここまで挑戦を沢山することが出来て、きっと普通の大学生では見ることが出来ないような景色を見てきました。
これからも色々なことに挑戦をし続けると思います。でも生きている間に全てを完璧にするなんて到底無理で、中途半端になることも多いと思います。それでも人生最後の瞬間に満点だと言えるように、その日が来るまでこれからも全力で色々なことに取り組みます。それが中村竜登という1人の男の生き様なので。

 最後まで長々とありがとうございました。またどこかでこのブログを読んでいる皆さんと会うこともあるかもしれません。
その時はまた思い出してください。
ありがとうございました。

皆さんの人生にも幸あれ。それでは。

#88 中村竜登

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門