氷上の軌跡 -#90種市晃太郎-

皆様あけましておめでとうございます。
新春の候、いかがお過ごしでしょうか?私は先日まで風邪をひいていて、春の暖かい気温が待ち遠しい気持ちでいっぱいです。

今回ブログを務めさせていただきます#90の種市晃太郎です。
最後のブログになるので、私の「氷上の軌跡」を書かせて頂きます。自分を語るのは苦手で、今思ったことをそのまま書くので読みづらいかと思いますが、ご容赦ください。
私がアイスホッケーを始めたのは幼稚園の年中の頃です。周りから見ても結構早めに始めており、なぜアイスホッケーを始めたのかは、正直に言うとあまり覚えてはいません。恐らく兄が先に始めていたため、自分も後を追って始めたのだと思います。
この頃は、ただ何となく楽しくてアイスホッケーをやっていたのだと思います。今となっては、この時にアイスホッケーを始めさせてくれた両親にはとても感謝しています。

そして学年が上がり、小学校になってもアイスホッケーは楽しく、毎日アイスホッケーのことしか考えていなかったと思います。
私の所属していたクラブチームは三沢Jrであり、去年卒業した#33 中村そうしさんと同じクラブチームでした。
この頃のチームはチームメイトや環境に恵まれていてとても面白く、青森県内のチームの中でも強かったと思います。この時まではただ何となく楽しくてやっていたアイスホッケーだったのですが、徐々に本気で勝つために取り組み始めた時期でした。
大会の決勝戦でGWSの自分が決めれば優勝、という場面で、その時にコーチであった父親にブレードテープを直してもらい鼓舞されてシュートを決められたことは、今でも鮮明に思い出せるほど覚えていて、とても嬉しかったし一生の思い出です。

さらに学年が上がり中学生になっても、三沢Jrからのチームメイトはほぼ変わっておらず、チームメイトも環境も良いままのびのびとプレーさせていただいていました。
この時の私のチームはとても強く、県内では負けを知らず、目標として「全タイトル制覇」を掲げてホッケーをしていました。
しかし、ある1つの大会で宮城県選抜チームに負けてしまい今までで1番悔しいと感じ、閉会式ではチーム全員で号泣していました。しかしこの負けがあったからこそ今の自分があると思っていて、これも素晴らしい最高の思い出の1つです。

今ではホッケーを辞めた人もいるし、アメリカなど遠くに行った人もいますが、タイミングが合えば会って遊ぶほど仲がいいです。
そして高校に上がり、私は八戸商業というあまり強くは無い高校でホッケーを始めました。
これは八戸工大一という強い相手と戦いたくて入った高校で、頑張って勉強をして入りました。結局は高校3年間で1度も勝てませんでした。しかし、この高校では素晴らしい指導者に恵まれ、人間として成長出来たと思います。
そして両親にはとても迷惑をかけたり、支えていただいたりした3年間でした。朝早くからの練習の送り迎えは近い距離の送迎ではなく、更にはお昼ご飯の弁当も作ってくれました。そして通学でかかるお金やホッケーでかかるお金など一生感謝してもしきれないぐらい支えてくれて、両親って偉大だなと、今では1番尊敬できる人です。

最後に大学です。
自分のホッケーの挑戦としてトップチームに入ったのですが、想像以上に上手い人がたくさんいて、自分がどれほど弱いのか実感しました。越えられないような壁で、実際に試合にもあまり出ることが出来ず、大学に進学させてくれた両親には申し訳ないと思っています。
しかし成長は出来たと思います。色々な人と出会って関わり、愉快な先輩や同期や後輩にも恵まれて楽しく大学生活を送ることが出来ました。今まで関わった全ての人には感謝しかないです。そしてこれからの人生も感謝を忘れず、楽しく生きていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
これからは学生ではなく社会人になります。正直とても不安で怖いですが、立派な大人になるために頑張りたいと思います。

最後に、これからも中央大学アイスホッケー部の応援をよろしくお願いします。

#90 種市晃太郎

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門