努力って偉いの?

チームブログをご覧の皆様、お久しぶりです。
前回のブログから少し時間が空いてしまいましたが、今日から再スタートしていきます。今回は経済学部3年の#25 小形諒人が担当します。

現在、チームは活動を再開し、各々がトレーニングに励んでいます。しばらく動いていなかった者が多く、なかなか大変ではありますが、この先の大会に向かってみんなで頑張っていきたいと思っています。

前置きはこのくらいにして、本題に入っていきます。
今回のテーマは、「頑張ることは偉いのか」について、スポーツ選手としての視点から、自分なりの考えを述べていこうと思います。

結論から申し上げますと、それは「いいえ」です。
日本人は、「結果はどうであれがんばろう」、「うまくいかなかったけどがんばったから良い」という言葉をよく言います。成果ではなく、努力する過程そのものを尊ぶ姿勢は日本人らしさであり、素晴らしい文化だと思います。
ただし、結果を重視する世界にこのような考え方を持ち込んではいけないというのが私の考えなのです。
こう言ってはいるものの、私はつい最近までがむしゃらに頑張ることは偉いと信じていました。

しかし、この頑張りは自己満足であり、正しい頑張りではありませんでした。もっと詳しく言えば、結果を出すために必要な本質的なところから目を背け、ただこなしているのにもかかわらず、「自分はこんなに頑張っているのに」といった勘違いをしていたのです。
結果を出すために頑張ることは当たり前です。努力は全員がしています。もしくは積み上げてきています。
そんな中で「頑張っていればきっといつか報われる」などといった甘い考えだけでは、成功を掴み取ることは困難でしょう。結果を出す人は、自分にとってベストな頑張り方を知っている人なのです。

これまで「頑張っても結果が出なければ意味がない」なんてことを述べてきましたが、これは結果が大事な世界でのことであり、そうでない場合には、決してその頑張りが無駄になるとは思いません。
その頑張りは必ず「人間力の向上」といった目に見えないものとして自分の中に積み上げられていくのだと思います。

最後に私の考えをまとめます。
結果を出すためには「正しい努力」をすることが必要である。
そして、「正しい努力」ではない「間違った努力」は自己満足であり、その頑張り自体を偉いと思うのは間違っている、といったところでしょうか。(もう一度申し上げますが、結果を出すことに重きを置く場合です。)
これはあくまで私の考えなので、いろんな考えがあっていいと思うし、むしろあって欲しいです。

以上で終わりにしたいと思います。

次回は#26 大野将輝です。チーム1の大男である彼がどんなことを書くのか非常に楽しみです。期待しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門