氷上の軌跡 -#17 板野誠也-

ブログをご覧の皆様こんにちは。
今年もやってきました、氷上の軌跡のお時間です。

本日は4番手、#17 板野誠也がお送りします。
競技歴15年と記憶に残っている人生のほとんどをアイスホッケーと共に歩んできた為、全ては語れませんが、出来るだけ多くを伝えられるように努力しますので、最後まで読んでいただけると幸いです。
※BGMは母が好きな曲、YOASOBIの「ハルカ」を推奨しています。

早速、本題に入っていきたいと思います。
アイスホッケーを始めたのは8歳(小学校2年)の時です。きっかけは至ってシンプルで、父親がやっていたためアイスホッケーというスポーツが身近な存在であったこと、そして小学校の先輩に誘われたことが大きかったと思います。
小学校1年生の一年間はチームに入る為に一般滑走に通って練習していたのを覚えています。
小学、中学時代(苫小牧明野小・明野中)ともに自身のレベルは全くもって高くありませんでしたが、チームメイトに恵まれていたこともあり、全道大会や全国大会など大舞台を数多く経験できました。我ながら運が良かったと改めて思います。

そして、最も濃い時間を過ごし、自身の中で心身共に成長したであろう高校3年間が始まりました。
この3年間はゴールデンウィークも元旦もアイスホッケーをやっていました。(今考えるとなぜ続けられていたのか不思議に思います笑)
さらに高校では学校内に同期ができ、部活動として活動できた為、環境も大きく変わりました。(小学校・中学校では学年にホッケー部が一人だった為にクラブとして活動。)
毎日苦しかった練習を乗り越えられたのは、同期の存在や楽しい居場所があったからこそだと思います。

しかし、高校3年間の記憶は決して楽しいだけのものではありませんでした。私の通っていた苫小牧東高校は伝説の先輩、石毛さん(2020年度卒 #9 石毛力)を擁していましたが、決して強い高校ではなかった為、インターハイ出場(高校3年時)が1回のみ、と輝かしい成績を残すことはありませんでした。
今までは当たり前のように出場できていた(チームメイトのおかげで)全国大会への壁の高さを痛感し、自分自身が今までどれほどチームメイトに頼り、甘えていたのかを実感しました。
さらに3年目は主将を務めていたこともあり、色々と頭を悩ませ、成長する機会が多々あったのを覚えています。
※ちなみに高校2年時の日光明峰高校との練習試合ではリクさん(2020年度卒 #18 徳光陸)にはチェックで吹っ飛ばされており、当時から上下関係が成立していました。笑

大学進学の際には、自身のレベルが低かったにも関わらず、高校時代に大舞台を経験しなさ過ぎた反動もあり、強豪大学を志望していました。笑
色んなご縁もあり、なんとか中央大学に進学する事ができました。
楽しく華やかな大学生活を夢見て、いざ東京に行きました。

するとそこには、、、
自炊・洗濯・掃除・早起き・練習・緊張・緊張・緊張という生活が広がっていました。

アイスホッケーのレベルが高いことはもちろん、寮での生活も先輩と一緒の部屋だった為、常に緊張しており、一瞬たりとも気の抜けない生活だったのを強烈に覚えています。
しかし、部屋の先輩であったケンタさん(2018年度卒 #12 渡邉謙太)やアキラさん(2020年卒 #21 宮本明朗)がたくさん可愛がってくれたこともあり、数多くの良き思い出と共に緊張は過ぎ去って行きました。その節はありがとうございました。

大学でのアイスホッケーは決して誇れるものではありませんでした。
個人として、チームの勝利に貢献することはもちろん、満足に試合に出場できなかったこと、選手として成長できなかったことなど、挙げればキリがないと思います。
アイスホッケーだけを見れば、私が中央大学に進学した事、それすらも間違いだったのではないか?と思うこともありましたし、アイスホッケーを続けていくべきなのか考えたことも多々ありました。

しかし、これらの疑問を忘れさせてしまうほど、寮での生活は楽しく、チームメイトと過ごす日々は価値のあるものでした。
共に食事をし、ゲームで競い、多くの苦楽を共にした4年間はかけがえのないものです。
そんな生活ももう終わり、社会人としての生活が4月から待っていると思うととても寂しいです。
4月からは1人で寝て、1人で起きなければならないと思うとゾッとします、色んな意味で。笑

こうして小学校から大学までの15年間に及ぶアイスホッケー人生を振り返ると、改めて「板野誠也」という人間はアイスホッケーを中心に象られているなと思います。
正直な話、私はアイスホッケーを心から好きになったことはありませんでした。なんとなく好きではありましたが、アイスホッケーがなければ生きていけないなど、熱い気持ちを持ったことは一度もありません。

こんな私でも15年間という長い期間、アイスホッケーを続けられたのは、もちろん両親の支えもありますが、最も大きい要素は仲間の存在だったと思います。
共に多くの感情を味わい、助け合い、時には道を示し導いてくれた仲間は私の財産だと断言する事ができます。

また、15年間のアイスホッケー人生を経て、私はとても恵まれている人間だと言うことを確信しました。
昔から、脚が少し長く細かったり、どんなにファストフードを食べても太らなかったり、勉強が少しできたり、先生への印象が良かったりなどなど、薄々気づいてはいました。笑
これまで小中高、大学と大変満足できる人生を生きてきたので後悔はありません。
これからの社会人生活もこの強運故に大丈夫であると考えています。

読者の皆様、あともう少しだけお付き合いください。
家族への感謝を書きたいなと思います。
まずは15年間という長い期間、アイスホッケー、学校生活に全力で取り組める環境を整えてくれてありがとうございました。小学校から高校までの送り迎えは、多くの時間を私に費やしていたと思います。さらにお金の掛かるスポーツを思う存分させてくれたこと、感謝しても仕切れないですね。
合わせて姉二人にも感謝したいです。アイスホッケー中心の生活で両親を1人占めした形になってしまいましたが、文句も言わずに支えてくれていた?と思います。
本当に、家族の存在は大きく、ありがたかったです。本当にありがとうございました。
これからは恩返しをするべく、馬車馬のように働きたいと思います笑

あとは部屋っ子たちに少しだけ。
私は3部屋経験しているので部屋っ子がたくさんいます。
元部屋っ子 〜#21 権平 #8 小原一
二人にはたくさん笑わせてもらいましたし、笑わせました。
かなり情けないコンビですが、良きパートナーだなと思うので、来年も力を合わせてチームを引っ張っていってください。

現部屋っ子 〜#27 尚輝 #66 時田 元#74 米山(ひがし北海道クレインズ #4)
本当によく寝ました。もしかしたら私のせいで部屋っ子たちもよく眠るようになってしまったのではないか、と思うほどよく寝てました。笑
ヨネのいびきはうるさかったし、尚輝とは韓国とかバイクの話をしたし、時田は乃木坂の話をしたりと楽しく平和な部屋だったなと思います。(ごめん、写真なかった、)
途中から2年生軍団が侵略してきて部屋が狭くなった、、、っていうのは冗談で、部屋が賑わって楽しく過ごさせてもらいました。ありがとう。

こんな感じで15年間を振り返り、感謝も伝えられたのでこの辺で私の「氷上の軌跡」を終わらせていただきたいと思います。
長い文章となってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。


最後となりますが、中央大学を選んだ自分の決断は大正解でした。
4年間、チームのスタッフの皆様、マネージャーの皆様、応援してくださった皆様を始めとする多くの方々にお世話になりました。本当にありがとうございました。
これからも引き続き、中央大学スケート部のことをよろしくお願い致します。

私も日本のどこかで応援しております。

#17 板野誠也

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門