氷上の軌跡 -#5 古場健悟-

みなさまあけましておめでとうございます。
経済学部4年の古場健悟です。
新年早々新型コロナウイルスの再拡大など暗いニュースが続いていますが、お体に気を付けてお過ごしください。


さて、本題の氷上の軌跡について書いていこうと思います。
私は、1年生のころから先輩方の氷上の軌跡を読ませてもらっていたのですが、いざ自分が書く側になると、大学の4年間はあっという間なのだなと感慨深く思います。
それでは、私のアイスホッケー人生について振り返っていこうと思います。読みづらい文章だとは思いますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

私は、小学校1年生の時に兄の影響でアイスホッケーを始めました。当時は自分の意思などは一切なく、ただ兄の真似をしていただけなので、もし兄が野球をやっていれば私も野球をやっていただろうし、サッカーをやっていればサッカーをやっていたと思います。結果的にこうしてアイスホッケーをやって大学に行けたので、兄にはすこーしだけ感謝しています。(笑)

私は小学生のころから身長が高く体格もよかったので、低学年の頃は敵がいませんでした。しかし学年があがるにつれて、#11 翼や#48 そーしなど、センスのあるプレーヤーがアイスホッケーを始めてきて、私はどんどん周りに埋もれていきました。

小学校と中学校は特に成長する事もなく、無名選手として高校に入学したので、私の初めての挫折はこの時だったのかな、と今振り返ってみて思います。周りがどんどん成長していき選抜チームとかにも選ばれているのに、私は選ばれなかったので、当時は相当悔しかった思い出があります。
小中学校の話はこんなものです。

次は高校の話です。
この高校3年間は間違いなく私のアイスホッケー人生のターニングポイントとなりました。私は中学3年生の時に村上先生から江南高校に来ないかとお声をかけていただきました。直接声をかけられたのは初めてだったので、当時は本当にうれしくて、すぐに江南高校に行くことを決めました。公立高校だったので受験があったのですが、勉強だけは人並みにできたので、特に苦労することなく入学することが出来ました。

入学してからは、高校のアイスホッケーのレベルの高さに驚愕しました。練習のキツさ、選手の体格、技術、全てにおいて今までとは比べ物になりませんでした。3年間を振り返ってみると辛かったな~と今でも思うし、お金をもらえたとしても高校生に戻ろうとは思いません。

しかし、多くのことを学ばせてもらったので、無駄ではなかったかなと思います。
高校では本当にいろんなことがありました。やらかして坊主になったり、自分のせいで試合に負けたこともあったし、FWをやったりもしました。しかし、こういった苦い経験があったから人間としても成長する事ができたのかなと思います。
高校終わり。


最後に大学です。
正直中央大学に行くことが決まった時は、うれしさよりも不安のほうが大きかったです。その理由は言うまでもなく、先輩方がうまかったからです。4年間試合に出れないなと思っていました。

しかし1年の夏に#33 ちょーちが怪我をして自分にチャンスが回ってきました。今思えば、この時にもっと活躍していたらその後も試合に出続けられたのかなーと思ったりもします。
大学での唯一の後悔です。後輩のみんなはチャンスが来たら絶対に逃さないでモノにしてください。
2年生からはずっと4つ目で、ベンチには入っていたものの試合に出ることはすごく少なかったです。大学の7割くらい4つ目にいた気がします。

4つ目はすごく難しいポジションです。試合途中から出場することが多いので、まず足が動きません。2ピリから出されても動くわけがないです。しかもそこで少しでも悪いプレーをしてしまったら、挽回するチャンスもありません。4つ目の難しさは誰よりも理解している自信があります。
しかし、誰かが調子が悪かったり怪我をしたりした時は必ずチームに必要となるポジションなので、これから4つ目になる人は、難しいと思うけどいつでも行けるように準備しておいてください。

3年目はコロナで秋リーグだけしかありませんでした。私は北海道に11月ごろまでいたので、1年間ほぼ練習していません。

そして迎えた4年目。
就職活動なども重なり、体を仕上げることが出来なかったため、春の大会はベンチ外でした。
このままじゃ終われないと考え、肉体改造に取り組みました。1か月続けて体重を5キロ落とし、モチベも体も十分でした。

そしていい感じになってきた7月11日に事件が起きました。

そうです、骨折です。
#77 小原君と遊んでいるときに指を折ってしまいました。しかもただの骨折ではなく病的骨折です。指の中に腫瘍ができてそのせいでもろくなっていたっぽいです。
だから小原君気にしないでね‼‼‼‼

手術が必要と言われて、そこで引退を覚悟しました。しかし思ったよりも回復が早く、インカレ前の12月に復帰することが出来ました。
最後にあがいてみようと努力はしましたが、体力が落ちていたし気合ではどうにもならない部分だったので、インカレの1回戦が引退試合になるのかなーと思ったりもしました。

そして迎えたインカレ1回戦目。
最後だからやり切って終わろうと全力でやりました。すると今までよりも体がよく動きました。そして奇跡的にセットが上がって、2回戦以降もありがたいことに試合に出させていただくことになりました。

この時に高校の時に監督に口すっぱく言われていたことを思い出しました。この練習、この試合が常に最後だと思ってプレーしろ、ということです。
この考えの必要性を、大学の最後に理解することができました。

後輩のみんなも、難しいことだけど、この試合が終わったあとはもう引退してもいい、と思うくらいまで全力で取り組むことをお勧めします。
全力を出す前にケガで引退なんてこともあり得ますから。そうなったら本当に後悔すると思います。

長くなってしまったので、この辺で終わろうと思います。



スタッフの皆様へ
態度が悪かった自分は本当に扱いづらかったと思いますが、最後までご指導していただき本当にありがとうございました。たかさん、正月太りしてしまったのでウエイト付き合ってください。(笑)


同期のみんなへ
4年間ありがとう。みんな個性的でまとまりのない9人だったけど、この同期で本当に良かったと思います。これからは別々の道に進むと思うけど、お互いに頑張ろう!


部屋っ子へ
部屋飯あんまり連れていけなくてごめんね。(笑)
2月は行こう。
部屋は静かだったけど、俺はうるさいのが苦手なのでよかったです。来年以降も更なる活躍を願っています。


中央大学を応援してくださった皆様へ
本当にありがとうございました。最後は4位という不甲斐ない結果で終わってしまいましたが、この悔しさは後輩たちが晴らしてくれると思います。来年度以降も中央大学の応援をよろしくお願いします。

最後にお気に入りの写真を載せて終わります。

おわり

#5 古場健悟

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門