氷上の軌跡 -#33 中村宗史-

皆さんこんにちは。
毎年恒例、中央大学4年生がお送りする「氷上の軌跡」の季節になりました。
我々4年生の中央大学での思い出やアイスホッケーに対しての想いを皆さんにお届けしようという企画です。

今回「氷上の軌跡」3番目を務めさせていただく、背番号33番、中村宗史です。
前の2人に負けないくらいの感動を皆さんにお届けできればと思います。

私は、2021年12月29日で中央大学アイスホッケー部を引退することになりました。
これまでの16年間を振り返ると、沢山の思い出やドラマがありすぎて全て話しきるのは難しそうです。出来るだけわかりやすく読みやすい文章を心がけますので、最後まで読んでいただけたら幸いです。

私がアイスホッケーをやり始めたのは6歳の時です。元々私の前に兄が始めており、その滑っている姿や試合を見て「かっこいいな〜」「俺も滑ってみたいな〜」という興味からアイスホッケーをやり始めました。
その後は皆さんに信じてもらえないかもしれませんが、アイスホッケーに加え、フィギュアスケートとサッカーを掛け持ちしながら小学4年生まで行っていました。フィギュアスケートではダブルアクセルまで飛べており、サッカーでは全ポジションを任されるほどの実力がありました。自分で言うのも恥ずかしいのですが事実です。(笑笑)

皆さんに信じてもらえるかはわかりませんが、話を続けさせていただきます。
この小学4年生が私自身の運命を分ける分岐点となりました。親から「この3つの競技から一つだけ選んでくれ」と言われ、すごく悩んだ事を今でも覚えています。
サッカーとアイスホッケーの2択で迷い、悩みに悩んでアイスホッケーをやろうと思った、最後の決め手はある人の言葉でした。
「サッカーでゴールを決めるより、アイスホッケーでゴールを決めた方が気持ちええぞ」と言ってくれた、背番号90番、種市選手の父です。それから私はアイスホッケーに没頭し、アイスホッケー中心の生活を送ることになりました。

アイスホッケーという競技は沢山お金がかかるし、練習の送迎も必要であった為、親にたくさん苦労をかけたと思っています。ただでさえ裕福な家庭ではなかったのに、兄もいたので、費用や労力が倍であった事を考えると頭が上がりません。
その分試合の結果で親に恩返しができるよう毎日必死で努力してきました。
小・中学校では、少数精鋭のチームでいろいろな大会で優勝や準優勝をたくさん取ることができ、多少親孝行できたのかなと思っています。
でも、これで満足せずにもっと高みを目指そう、と中学を卒業する時に心に誓いました。日本代表選手に必ずなり、最高の親孝行を届けてあげられるようにしようと。

高校生に上がると、中学までとは体格やスピードが全然違い、もっと努力しなければいけないと気付かされました。だから氷上練習はもちろん、ウエイトトレーニングや陸上トレーニングに人一倍励みました。その結果U18日本代表に選出され、最高の親孝行を届けられて満足していた自分がいました。
ですが、海外の選手と対戦した際に肩を脱臼して手術を行うこととなり、また親に迷惑をかけてしまったなと後悔しています。当時は、半年間ホッケーが出来ずイライラしていましたし、もう何もやる気が出ず頭が真っ白になっていました。でも、親の支えやリハビリの先生のサポートのおかげで復帰することができ、次は大学で恩返ししていこうと前に進むことができました。

大学進学の際、最初から中央大学に行く予定ではなかったんです。実際、どこの大学でもいいやという気持ちで選んでいました。
でも、大学の試合で中央大学のDF蓑島さん(2018年度卒 #65 蓑島圭悟)のプレーに憧れ、その人からたくさんアイスホッケーのことを学び、自分の成長につなげていきたいという強い思いが溢れてきたため、中央大学進学を決心しました。
私が1年生であったのにも関わらず、春大会から一緒に組ませてもらい、パスの正確さや判断力、圧倒的テクニックを真横で感じることができ、やっぱりすごい人だなと思わされました。盗めるものは盗み、自分のスキル向上に努めていたのが懐かしい記憶としてあります。

調子が上がっていて自信に浮かれていたその矢先、夏季大会で手術した肩をもう一度脱臼し、再手術をしました。それで1年間を棒に振る事になり、アイスホッケーをやめようかと考えたこともありました。
でも、同期のみんなやチームメイトの励ましの声、監督・コーチ、トレーナーのサポートのおかげでなんとか辞めずにいられました。本当に感謝しています。

3年生では新型コロナウイルスに悩まされましたね。今現在人数は減っているものの、次は、オミクロンという変なウイルスが増加しているみたいです。それらがあったせいで大会の延期、無観客試合というのが定着し、秋リーグやインカレを親が生で見ることができず、悔いが残っているのではないかと思います。
そのようなことが今後起こらないように、手洗い・うがいをしっかり行い、対策していくことが必要になってきます。親に後悔させないよう、皆で観に来れる環境を作ってあげることも視野に入れてほしいと心から願っています。

最終学年は、上に立つことがどんなに難しいか、どのような行動・発言をすれば後輩がついてきてくれるのか、すごく考えさせられる1年間でした。
私自身、私生活や氷上で何も後輩たちに示しをつけることができなかったなと思っています。良き先輩ではなく、悪い先輩と捉えられていてもおかしくないと感じています。後輩たちには、悪い先輩の手本が私であるため、絶対に真似しないようにとだけ伝えさせていただきます。
良き先輩が増える事を心から願っています。

長々と私のこれまで歩んできた人生を話してきましたが、最後とさせていただきます。
私がアイスホッケーを通じて皆に伝えたいことは、誰かしらの支えが必ずあり、感謝を忘れないで人生を歩んで欲しいということです。
私は、他人と比べると考え方や行動がぶっ飛んでいるため、恵まれた同期や後輩に助けてもらうことでなんとか生きてこられました。一番感謝しなければいけないのは親ですが、これまで出会ってきた仲間達にも感謝しています。仲間達がいなければ、今の自分はいないと思っています。


来年から社会人として新たな環境に踏み入り、新たな出会いも増えると思います。出会ってくれた一人一人に感謝し、今後の人生をこれから歩んでいきたいと思っています。
だから、後輩の皆も感謝を忘れず残りの大学生活を送っていってください。

大変長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後になりますが、これからも中央大学アイスホッケー部の応援をよろしくお願いします。

#33 中村宗史

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門