氷上の軌跡 -#21宮本明朗-

皆さんこんにちは。

3年目で卒業に必要な単位を全て取得し、卒業を確定させた「総政の奇跡」こと宮本明朗です。

なので、1年間授業を受けていないことから、レポートの書き方を忘れてしまい、本来の実力を発揮できないまま皆様にまとまりのない文章をお見せすることになってしまい、本当に申し訳ありません。


「氷上の軌跡」ということで、ここからは、私のこれまでのアイスホッケー人生を振り返りたいと思います。
サンボマスターの「できっこないをやらなくちゃ」をBGMに流さずに読んでいただきたいと思います。

これまでのアイスホッケー人生を振り返るとは言ったもの、正直、辛いことばかりであまり思い出したくないです。(笑)

私がアイスホッケーを始めたのは5歳くらいの時です。父がアイスホッケーをやっていたので自然と始めていました。チームは安良沢ベガというところに所属していて、とにかくユニホームがださかったのでそれを武器に相手を油断させて戦うという作戦で6年間やってきました。
その作戦に見事に引っかかったのが翔太(#20 小川翔太)です。小6の関東大会決勝で翔太率いる身長170cm前後の選手が3人もいる反則チームに勝って優勝しました。
人数の関係から次の年に廃部が決まっていたので、有終の美を飾ることができて、とても嬉しかったです。

ちなみに小2の時に陸(#18 徳光陸)が転校してきて、それから現在までずっと同じチームでプレイしています。

中学は地元の日光中に入学しました。ここで私のアイスホッケースタイルが確立しました。それはパスホッケーです。もともとバルセロナのティキ・タカと呼ばれる華麗なパスサッカーをみて、こういうプレーをアイスホッケーでやりたいなと思っていて、そんな時に中学で出会ったコーチがパスを丁寧に繋ぐスタイルだったので、まさに運命的でした。また陸をはじめ、同級生や下級生に上手な選手が揃っていて、それなりにレベルの高いホッケーができていたので、もしかしたら日本一あるかな〜とも思ったんですけど、そんなに甘くないですね。残念ながら全中で3位という結果でほんとに悔しかったです。

もしパスワークの芸術点を競う競技だったら、日本一とれてたと思います。(笑)

高校も地元の日光明峰高校に入学しました。
1年目、2年目となかなかいい結果を残すことができませんでした。
3年目には地元である日光でインターハイが開催されるということでかなり力を入れていたのですが、結果は… 2回戦敗退でした。
優勝した駒澤に負けてしまったんですけど、駒澤強かったな〜っていうか、ほとんど覚えてないです。なんか、地元だから観客もたくさんいて、すこし緊張してたのか、あまりいい思い出じゃないから記憶から消してしまったのかわからないですけど、なんかやりきった感があまりなく、後悔がかなり残ってたのは覚えています。
だから、その後悔した気持ちを晴らすために高校最後の試合だった国民体育大会の決勝で北海道とあんなに激アツな試合ができたのかな?と思ってます。
たぶんYouTubeに載ってるんで興味ある人は是非みてください!

大学は父が中央大学スケート部のOBであったことから、なんとなく中央に行くんだろうなぁと思ってましたが、正直、行きたくなかったです。
なぜなら、レベルは高いし、日本代表はゴロゴロいるし、顔が怖そうな人はたくさんいるしで嫌なイメージしかありませんでした。
まぁでも日本一になってみたいからという理由で入学を決めました。

1年目の春合宿のある日、ホテルの部屋のチャイムが鳴ったので、出るとそこには顔の怖い2人が立っていて、「あきら、お前おれらの部屋ね、おれがとったから」と言われました。それは、当時4年生でアシスタントキャプテンの坂本颯さんと当時3年生の渡邉謙太さんでした。寮の部屋割りが決まったみたいなんですけど、まさかの自分を指名してくれました。自分はありがとうございますとは言ったものの正直、最悪だ〜、終わったな〜と思っていました。でも実際はあんなに顔が怖そうなのにめちゃくちゃ優しくて、毎日がめっちゃ楽しくて、あの部屋にとってもらえて最高だったなと思っています。
(今度、部屋飯待ってます笑)

1年目、2年目は1度も優勝できずに悔しい結果となりました。個人的には大学の頭を使ったホッケーに戸惑ったり、パスは回せてもなかなか得点が取れなかったりと伸び悩む時期もありました。
3年目からはだいぶ大学のホッケーに慣れてきて、すこし余裕を持ってプレーができるようになり、秋のリーグ戦ではポイントランキング2位になることができました。チームとしてはインカレで4位という悔しい結果で終わってしまいました。

そして、4年目のラストシーズンです。
やっとですよ。
最後の最後でやっと優勝することができました。
今年はコロナの影響で秋リーグしかありませんでしたが、その大学最後の大会で優勝できたことはなによりも嬉しかったです。
もう最高です。
本当に今まで頑張ってきて良かったなと思いました。

いま思えば、小、中、高校もそうだったかもしれません。なんの為にホッケーをやっていたのかわからない時期があり、勝つためではなく、楽しむこともなく、ただ親に怒られないために一生懸命アイスホッケーをやっている時期もありました。

そんな辛い時期もありましたが、大学最後の大会では、自分のため、チームのため、応援してくれる人のためにそれからアイスホッケーを楽しんでプレーして、優勝することができたので、もう本当に幸せです。

私はこれまでのアイスホッケー人生で本当に色々な方にお世話になりました。
両親には何不自由ない生活をさせてもらい、リンクまでの送迎や食事も美味しくて栄養を考えて作ってくれていたので、感謝しています。

それから、各カテゴリーで出会った指導者の方々には本当に恵まれてたなと思います。
小学生の頃から陸と同じセットでやることが多くて、自分たちのパスホッケーのスタイルを否定して、直そうとしてくる人はいなかったし、結果が出なくても自由にやらせてもらっていたので、色々なことにチャレンジをすることができましたし、感謝しています。
最後に少しだけ成長した姿をみせることができたのかなと勝手に思ってます。

あとは、リンクで声をかけてくれた人、いつも自分のことを気にかけてくれる地元の近所のおじちゃんやおばちゃんたち、SNSで自分に関することやゴールシーンなどを投稿してくれる人、実は密かに応援してくれる人も、そういう人たちが私の支えになっていましたし、もっと頑張らないといけないなと思わせてくれました。
本当にありがとうございました。

とにかく、自分は色々な人に支えられて今までアイスホッケーを続けてくることができました。
アイスホッケーをやってなかったら、皆さんと出会うことができなかったので、アイスホッケーをやっててほんとに良かったなと心の底から思います。


これまで私のアイスホッケー人生を振り返ってみましたが、どうでした??
意外と長かったですよね。
でもまだまだもっと、たくさんの思い出がありますし、それを話してたらキリがないので
この辺で終わりにします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

引き続き、中央大学スケート部への応援を宜しくお願い致します。

#21 宮本明朗

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門