99%の努力と1%のひらめきが天才ではない

法学部2年の中村竜登です。ひとつよしなに。前のブログで米山から紹介されましたが、僕のあだ名の「ブロ」というのは3年生の中村宗史さんが僕と同じ苗字ということで「よぉ兄弟」と言ってくるノリから、兄弟→ブラザー→ブロ(ブラザーの略称)となりました。僕の名前の原型はどこにもないですが今では定着してます(笑)
今回も「またひねくれたこと書いてらぁ」と思った方も最後まで読んで下さると光栄です。

さて、冒頭からかの有名なトーマス・エジソンを否定するようなタイトルで始まっていますが、今回のこのタイトルはクロアチア出身の発明家テスラコイルの「天才とは99%の努力を無にする1%のひらめきである」から引用しています。かなり尖った見方ですが、エジソンよりも天才ということの核心について述べているように思います。しかし、僕から言わせれば、何となく目的もなく生きる人が多い現代では並々ならぬ努力ができるという事も天才に値するのではないかと。

さて、長くなりました。ここからが本題です。今現在僕はチームに合流しておらず地元にいます。今期の社会的情勢を考えて両親と何度も話し合い、悩んだ末に出した結果です。もちろん中には「他の人は合流してるのになんでだろう」と思う方もいると思います。しかし、僕は一人暮らしで日常生活では人との接触は避けられなかったり、寮と違ってお互いに管理し合うこともできません。自分に責任を持つという意味でも合流はしませんでした。
 
しかし、実際にチームの練習が再開した時の僕の心情は複雑なものでした。ただでさえ自分はチームの中で足りない所が多いのに取り残されてしまうのではないか。自分は何もチームに貢献出来ていない。自主トレのランニングやウエイトトレーニングも流れ作業のような気がしてならず、様々な葛藤や焦燥感がありました。一度決断した事とは言え、気持ちは晴れませんでした。
 だからと言って今は沈んだ気持ちのままというわけではありません。こんなにも時間を考えずにじっくり実家で自分を見つめる機会はこの先の人生できっともうないだろうし、貴重だと思っています。それに1番は今ここで後悔していてもそれは過去の自分を否定することになります。僕は過去の様々な決断があって今の自分はここまで来たと信じています。なのでこの決断を未来では必ず良かったと言えるようにしたいのです。むしろそうなるように努力することが今の自分に求められているのだと思っています。
高く飛ぶためには助走をつけて時には後ろに下がることも良いんじゃないかって思います。

 何か写真を見せたかったのですが、特に出掛けることも出来ないのでいつかの夏に友人と行って撮った山の風景でも載せますね。

澄んだ夏空に鮮やかな木々とその麓を流れる涼しげな清流です。
 皆さんの目の前には今どんな風景が見えていますか?どんな彩りがありますか?皆さんにも素敵なモノが見えるといいですね。

次回のブログは鈴木翔です。彼はチーム内でも寡黙なタイプに見えますが、掃除をサボって先輩に怒られる少し適当な所もある愛嬌のある選手です。きっと僕よりもずっと素晴らしい出来のブログを書いてくれると思うので是非読んでくださいね。
長くなりましたが最後までありがとうございました。

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門