氷上の軌跡 -#7 矢島翔吾-

※先に伝えておきます。一度書き始めると長々と語ってしまう癖があります。なので、時間があって、更に暇な時に読んでいただきたいです。トリらしくまとまったブログにならないと思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

中央大学スケート部のブログをご覧の皆さん、こんにちは。
毎年恒例であるこの「氷上の軌跡」のトリを務めます、総合政策学部4年の矢島翔吾です。

私が初めてこの「氷上の軌跡」を見たのは、私が入学する前ですかね。それから毎年4年生の氷上の軌跡を読むたびに心が熱くなっていました。
そしてついに私が書く時が来るとは…歳をとりましたね。

ざっとわかりやすく書くことを分けると
・自分の経歴(アイスホッケーに出会って~大学生)
・スタッフの皆さんへ
・両親への感謝
・可愛い可愛い部屋っ子へ
・応援してくださった方々へ
・同期へ
となっています。
最後までお付き合いください。

さてさっそく本題に入りますが、(大学までさらっと読んでください)私はアイスホッケーに出会った時のことは全く覚えていません。
2歳くらいにスケートを始め、3歳にはアイスホッケーを始めていたらしいです。出会ったというよりかは、物心つく前には始めていました。そうなったのも、父が元プロで兄もやっていたからです。
親からは家の中でも外でも常にスティックを握り、遊んでいたと言われます。ですが、私だけ家族の中で異例のレフトハンドでした。なぜなのかは全く分かりません。

また小さい頃の記憶にあるのは、練習試合で初めて反則をして悔しくてペナルティーボックスで泣いたり、試合に負けるたびに泣いたりと、泣いたことばかりです。(笑)

『アイスホッケー大好き泣き虫二世選手、矢島翔吾誕生』


次に小学生の頃の矢島翔吾です。ここら辺から記憶がハッキリとあります。
とにかくアイスホッケーが大好きで大好きで、毎日アイスホッケーに没頭していました。
学校が終わるとすぐ家に帰ってすぐ練習に行って、練習がない時は外でゴルフボールでハンドリングして遊んだりとしていました。
逆に勉強が得意ではなく、赤ペン先生や公文の宿題を溜めて母にしょっちゅう怒られていました。(笑)
テストの結果は全く出ませんでしたが、アイスホッケーでは6年生の時に人生初の主将を任されました。
そして帯広で行われた全道大会では優勝しました。人生で初めての優勝だったのでとても嬉しかったのを覚えています。最高の気分でした。

『矢島翔吾、人生初の優勝を味わう』


次は中学生の矢島翔吾です。
私の中学校はアイスホッケー部の人数が少なく、単独ではなく他の学校との、毎年変わる合同チームでした。
合同陸トレは中々難しかったので、サッカー部の先生の誘いで、ホッケーがない時期はサッカー部にお邪魔させてもらっていました。(リーグ戦で1ゴールしたのも良き思い出です)
アイスホッケーの方では、1年生の時にレベルの高さに愕然としました。
ついていくのに必死でしたが、2年目からは少し余裕ができ、3年目ではチームの主将を務めたり、U16日本代表に選ばれ、ここでも主将を務めさせていただきました。とても素晴らしい経験をしまくりました。
そして3年目にこれまた帯広で行われた全道大会では優勝をしました。小学生の時とはまた違った嬉しさがありました。

『矢島翔吾、二刀流デビュー』


さて、私の人生で1番の黒歴史であったであろう高校生の矢島翔吾です。
高校は日本一辛いと言われる駒澤へと進学します。その名の通り、一気にレベルも体格もキツさも何もかも桁違いになり、思い出すだけで病みそうなくらい辛かったです。

1年目で、これぞ地獄を味わいました。自分で選んだのにも関わらず、やめたいと何度も思っていました。(余談ですが、この地獄を味わっている時に私の推し、清野菜名は生田斗真と交際し始めていたらしいですよ。)

ですが2年生になってから余裕もでき、日光で行われたインターハイでは優勝を経験する事ができ、1年の時に挫折を味わったU18に選考会で結果を残して代表入りし、世界と戦う素晴らしい経験をすることが出来ました。

そして3年目には、伝統ある高校の主将を任され、自分なりにチームを引っ張りましたが、どの大会も一歩届かず大きい大会では無冠で終わってしまいました。
ですが、同期達と協力してここまで熱く優勝を目指したいと思ったのは、人生で初めてでした。
ここまで心技体、全てを育ててくれた桶谷先生には感謝しかありません。(最後のインターハイもまさかの帯広でした。)

『矢島翔吾、追い詰められに追い詰められた結果、熱男になる』


そしていよいよ大学生の矢島翔吾です。
私が中央大学を選ぶきっかけとなったのは、3冠を達成した時のホッケーを見て私のプレースタイルにあっていると感じたことです。
それから、中央大学を選ぶ決め手となったのは、今の同期が行くと聞いていたからです。この同期とホッケーがしたい。
ただそれだけでいく事を決意しました。

そして入学・入寮しましたが、今でも忘れません。入寮してから荷解きをしていると、俺はここで4年間生活できるのか?と不安になった事を。
ですが、部屋の先輩方[叶多さん(2020年度卒 #73 叶多洸大)を筆頭に]がとても優しく、他の先輩方もとても優しくて、不安などはふっ飛んで自由に色々な部屋を徘徊して楽しく生活させてもらいました。

2年目から、いわゆる食掃から解放され、自分の時間が増えましたが、毎日学校に通い、土日のどっちかはバイトをして貯めたお金で遊んだりして、充実していたと思います。
ホッケーの方はとてもお世話になっていた大好きな4年生方[阿部さん(2019年度卒 #29 阿部翼)方]のために優勝を目指しましたが、優勝まであと一歩のところでダメでした。自分の力不足を感じさせられました。

3年目、コロナの影響で秋リーグ以外全て中止になりました。もし自分が4年生だったらと考えるとぞっとします。
秋リーグしかないと決まった時、4年生の為に今できることをして、少しでも役に立とうと思いながら常に動いていました。そして全勝優勝をすることができ、4年生の辛かった1年間を優勝で少しでも晴らせたのかなと思います。

そして4年目を迎え、ここでも私は主将を任されました。気づけば小~大の全てで主将を務めてきました。
私は今シーズン主将を任された時、「今までやってきたから大丈夫だろう」と軽い気持ちで考えていました。

ですが、高校までの主将とはまるで違いました。体は正直です。
普段緊張しないのですが、4年になってからは全試合緊張したし、試合前日から終わるまで食欲はないし、お腹も壊すし、でも勝たなきゃいけないし、とシーズン通して追い込まれてきつかったです。
寮生活も大変でしたが、選手の考えをくみ取りながら、チームを優勝へ導かなければなりません。なにが正解かわかりません。
ですが代々の主将はプレッシャーに勝ち、チームをまとめ上げて、凄いなとつくづく実感しました。[特に近くで見ていた、翼さんと陸さん(2020年度卒 #18 徳光陸)]

結局、自分の中で答えは見つからないまま終わりました。
ですが1つだけ気づけたのは、私はなにか言動で人を動かすのではなく、常に先頭に立ち行動で引っ張るタイプでした。

主将として具体的に何かできたかと言われると何もできていません。チームを一度も優勝に導くことが出来ませんでした。同期にも後輩にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

最後のインカレではチームに迷惑しかかけていません。
2回戦に#11 翼の「えぐいシュート」が、私の素晴らしい「指シュートブロック」により、骨折しました。

小~大まで最後の大会が帯広で、結果を出せた帯広は、私の中でこれは何かの縁かもしれないと思っていましたが、最後に骨折だとは。人生上手くいかないものですね。
私の中では出ることを諦めていましたが、親や友人が最後まで諦めないで応援してくれて、そして太一さんは最後まで私の怪我を見てくれて、出場の可能性0%から50%くらいまでにしてくれました。

でも骨折でホッケーはやはり無理でした。悔いが残ると思っていましたが、選手がボロボロになっても最後まで戦っている姿を見て、悔いは勝手になくなっていました。

誰もが最後の結果を望んでいませんでしたが、チーム全員が最後まで勝利を諦めずに戦いました。
勝利も大事ですが、そんな事よりも、カッコイイ中央大学のユニホームを着て、大好きなチームで戦えたことがなにより幸せでもあり、引退が寂しくもありました。

『矢島翔吾(熱男)、濃ゆすぎる4年間で心身ともに大完全燃焼』


やっと自分の経歴が終わりました…。
書いていると、濃すぎる人生を味わっていて幸せ者だと改めて感じました。
これからは色々な方への感謝をこの場をお借りして伝えさせていただきます。


スタッフの皆さんへ
入学してから引退するまで、沢山のご指導ありがとうございました。スタッフの皆さんは、自分達の主張をとても尊重してくれました。生意気な事も沢山言ったと思います。ですが、ここまで成長できたのはスタッフの皆さんのおかげです。まだまだ話したりないですが、本当に4年間ありがとうございました。(八戸さん、タカさん、はせがわ行きましょうね!)


両親へ
本当にここまで数えきれない程の迷惑をかけてきたと思います。兄もいて、ホッケーだけにどれだけの時間を費やしたか。練習・大会・送り迎え・防具費用など、挙げたらキリがありません。
そして両親の夢でもあり私の夢でもあった、プロへの道は達成できませんでした。とても悔しいし、謝り倒しても謝り足りません。
まだまだ伝えなきゃいけないことはあるけどキリないので、本当に本当に心の底から感謝しています。
矢島で生まれることが出来て俺は幸せです。
地元に戻れるので、まずは家の障子を直すことから、少しずつ恩返していきます。
ありがとう。これからもまだまだよろしく。


可愛い可愛い部屋っ子へ
元#24 しょうごり(ひがし北海道クレインズ#24)へ
もがきにもがいて今上を目指してる最中だと思う。高校の時から少しのチャンスをものにしてきて、少しでも上を目指す姿勢はマジですごいよ。腐りそうなときがあったら連絡してこい。最後一緒にやりたかったけど、しょうごりの人生だ、めちゃくちゃ応援してる!釧路に行くことあるから飯いこな!

#75 りょうへ
1年目は本性を現してない感じだったけど、2年目からはめちゃくちゃ打ち解けて、試合前ルーティーンのゲームとかやってたな。
絶対的守護神になったりょうには今シーズン沢山助けてもらいすぎたわ。特にインカレ3決のりょうはえぐすぎて感動して普通に涙出た。(笑)
これからは自分を見失うことなく、負けた時に自分のせいにするんじゃなくて、りょうらしくどうして失点したかを考えて解決していきな。りょうはもっともっと上を目指すべきだよ。
苫小牧にいるから帰省した時はいつでも誘ってな!中学の時からありがと!

#13 りくへ
いつから俺の部屋に来たかもう覚えてないわ。(笑)
りくは寝起き顔浮腫みすぎ。寝すぎ。ゲーム下手すぎ。でもいつでも明るくてめんこかったよ。
りくは、まず自分の武器をなにか考えて、それからその武器を磨き続けろ。自分の弱点を見つめなおす時間も時には大切だけど、弱点を目立たせないくらい武器を磨け。腐るな。
合宿で苫小牧来た時、飯いこな!


中央大学を応援してくださった皆様へ
本当に沢山の熱いご声援、ありがとうございました。
ここ2年は新型コロナウイルスの影響で中止になったり、制限で会場に足を運べず、画面越しでの応援という事で歯痒い事もあったと思います。
ですが、選手はいつでも全力で戦い続けています。これからも後輩たちへの熱い熱い応援よろしくお願いします!


同期へ
君たちのおかげで大学4年間を濃すぎる生活が出来たよ。集まり悪いし、仲いいのか悪いのか分からないけど、楽しすぎたよ。
秋リーグ後半からの団結は凄かったけど、優勝は簡単じゃなかったね。めちゃくちゃ優勝したかったよ。でもまあ沢山の思い出が出来たからいいか。4年間ありがとう!(そろそろ卒業旅行決めないとやばいよ。)

後輩のみんなには一言だけ、結果を求める前に自分と向き合うこと。


本当に長々とすみませんでした。もう締めさせていただきます。

これにて全員の「氷上の軌跡」は終わりです。
本当に引退したのだと同期のブログを見て、自分が書いていて実感しています。
これから4年生は、全員バラバラで社会人として一からまた頑張ります。
それぞれがこの4年間で培ってきたもので、それぞれが違う形で活躍していくでしょう。

私自身は地元苫小牧に戻り、社会人とホッケーの両立、同期の誰よりも早く結婚報告を出来るように頑張ります。(ライバルは#91 カズかな?笑)

今まで沢山お世話になった、スタッフの皆さん・先輩方・ご両親・MG、また応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

中央大好き!中央大学を選んで本当に良かった!

#7 矢島翔吾

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門