氷上の軌跡 -#91 嶋貫一真-

ファイナルスコア2ー5。
4年間で何度も負けた相手の壁は最後まで高く、私の学生生活最後の試合となった。

12月29日をもって幼少期から現在まで16年間続けさせてもらったアイスホッケーから離れ、2週間が経ち、これまでの人生を振り返っていると、本当にアイスホッケー中心の人生だったなと改めて痛感しております。
「軌跡」なんていうかっこいい言葉に見合う人生だったかはわかりませんが、少しでも嶋貫一真の人生録に付き合っていただけると幸いです。

5人家族(父、母、姉、姉)の末っ子として生まれた私ですが、気づいた時にはスティックを握りリンクの上で転びまくっていました。
父が元々アイスホッケー選手で、姉二人はバレーボールを行っていたので、アイスホッケーをやる運命として生まれてきたようなものだと思っています。
口にはしていなかったものの、両親は期待していたと思うので、数ある人生の選択の中でアイスホッケーを行う選択をした自分を今は褒めてあげたいと心の底から思います。

アイスホッケーを始めた当初は、ただ楽しいという一つの感情のみで競技を行っていました。
同じ小学校では佐野靖也(日本体育大学 #14)、石田陸(東洋大学 #8)、他校では佐久間雄大(明治大学 #10)など、友達でもありライバルのような存在と会うことも、私にとっては一つの楽しみでもありました。

そんな楽しいだけのアイスホッケー生活は、意外にも早く終わりを迎えることとなります。
二歳年上の姉が小学校のバレーボールを引退し、私が小学校5年生で試合に出始めると、両親の競技熱が私にコンバートされました。私の父を見たことがある方はわかるかと思いますが、父は観客席から私を睨んでいるかのような眼差しで視線を送ってきます。
中学校くらいまではこの視線が怖くて、練習の際などには、どこに父がいるか確認しながら練習していました。

恐怖の時間はまだ続きます。
帰りの車内です。調子が良かった日はすんなりと車に乗れるのですが、不調の際は車に乗りたくもなく、乗った後はいつ何を言われるかとびくびくしていました。
けどこの時間があったからこそ毎回の練習に集中して取り組めていたのではないかと今は思いますし、父なりの愛情だったのかと思います。
母は、遅い時間になっても私の帰宅のタイミングに合わせてご飯を作ってくれていました。当時の私はそのありがたみに気づけず、献立に文句をつけたりと本当に生意気な息子でした。
その節は本当に申し訳ありません。

そんな両親に、私が1番最初にできた最高の恩返しは中学3年時の全国制覇かなと思っております。
中学2年時は先輩方に恵まれ、1シーズンで全国大会決勝の1敗のみという成績でした。しかしこの1敗だけで先輩方の目標は破られ、それと同時に私の全国制覇という目標は頑固たるものとなりました。
そういった私の思いだけでなく、先輩方の想いも受け継いで達成することのできた全国制覇は、私の人生の中でも最高の瞬間でした。
中学校時代から、母は毎試合のように私の試合をビデオカメラで撮影をしてくれており、この全国制覇の瞬間も例外ではありませんでした。
そのビデオは何度も見返したのですが、優勝の瞬間には、選手である私たちよりも泣いている母の声がビデオに記録されており、私自身少し恥ずかしさもありつつ、それだけ母も私のことを思って応援してくれていたのだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

高校に進学するにあたり、初めて自分の人生を左右する大きな決断をしました。
複数の高校で迷っていた際に武修館高校の角橋監督にお声をかけていただき、角橋監督のもとで成長したいという一心で武修館高校に進学しました。

高校にはまさに「青春」が詰まっておりました。私は体育コースという、部活動の推薦で入ってくる人たちだけのクラスに所属しており、24名中22名が男子であり、ほぼ男子校に通っている感覚でした。
その日常には一歩間違えればいじめなのでは?と思うくらい男子部活動生のノリで溢れており、本当に毎日が楽しかったのを今でも鮮明に覚えております。
さらに、高校の同期とは、初めて他の部活動の学生と深い関係を築くことができ、競技は違えど苦楽を共にしてきた、最高の仲間たちでした。
今でも毎日のように連絡を取り合う彼女のような親友ができたりと、私にとって高校生活は様々な出会いの奇跡で溢れていたなと胸を張っていうことができます。

また、部活動を通じて準備する大切さ、自分で考える大切さを学ぶことができました。角橋監督は選手の考えを尊重してくれる方で、互いにリスペクトの関係を構築することができていたと思います。
その環境で育つことで今の自身の考え方や人間像が確立されてきました。このような経験からも言えるように、高校ではアイスホッケーの技術はもちろん、人として大きく成長させてもらえた高校生活でした。

そんなちょっぴり大人になった気分でいた私ですが、大学進学に際してもとても悩みました。いろいろな決め手はあったのですが、最終的に中央大学に決めた要因は同期のメンバーでした。
昔から知っているメンバーが多く集まっていて、このメンバーでなら日本一を取れると思ったし、なにより楽しそうだったからです。

結果としては自分たちの代では一冠も取ることができなかったのですが、同期と過ごした時間は、これまでの人生と比べても、私生活も含め相当濃い時間を過ごすことができ、本当に楽しい毎日でした。

そんな私の大学アイスホッケー生活で1つだけ悔いがあるとすれば、今シーズンの最終戦であるインカレ3位決定戦のvs法政大学戦に出られなかったことです。
前日の東洋戦で怪我をしてしまい、私の競技生活は観客席で終えてしまいました。
連日の試合の疲れで心身共に疲弊しているなか懸命に戦っている仲間たちの姿を見ていると、(自分はここでなにをしているのだろう)という情けない気持ちで胸がいっぱいでした。最後の最後でチームの力になることができず本当に申し訳なく思います。

長いと思っていた学生生活、そして競技生活が終わりこのようにブログを書いていると、胸にこみあげてくる気持ちがたくさんあり、言葉では表せない感情になってしまいます。

そして(あの頃に戻りたいな、良い時間を過ごせたな)と思うこの感情になることが、私にとって『引退』を自身に通告していることになるのかなと思います。

辛いことの方が間違いなく多い競技生活ではありましたが、ブログを書きながら過去を思い出していると、良い思い出ばかり蘇って本当に幸せな競技生活でした。
16年間本当にありがとうございました。

軌跡ということで後輩たちに少しだけ。
みんなはアイスホッケーを始めて中央大学に入学したその瞬間から、「日本一を獲らなければいけない」という使命があると思っています。
どこかのカテゴリーで日本一を経験した人がいると思うけど、大学で優勝するということは、間違いなくどのカテゴリーよりも難しいことだと引退した今は思います。
来年以降も後輩たちの前に立ちはだかる壁は相当大きなものです。その壁を越えるためにはなにが必要なのか、新キャプテンを中心に考えてみてください。
もちろん今年と同じ取り組み方では優勝の文字は見えないし、今年の成績を越えられるかもわかりません。
私たちができなかったように壁を越えるためのなにかを見つけることは、相当難しいことだと思います。けれど後輩たちには全力でそれに取り組み、最後に優勝していつも通り生意気な顔で優勝の報告をしていただけたらなと思います。
来年度以降頑張ってください。陰ながら応援しています。

こういう機会でないと伝えることがないと思うので、この文章を読んでいるであろう両親へのメッセージで私の氷上の軌跡を終わらせていただきます。

父へ
小さい時から怒られてばかりで、飴2割、鞭8割くらいの感覚でした。そんなに怒ってなにが楽しいんだと思うことがたくさんありましたが、父が誰よりも家族思いで私のことを愛してくれているということを今はわかります。
トッププレイヤーのように毎回の試合で活躍する姿を見せることはできなかったけど、アイスホッケーでここまで来ることができたのは間違いなく父のおかげです。私自身、自分を一番に認めさせたい相手は父でした。
ここまで元アイスホッケー選手として、父として育ててくれて本当にありがとうございました。怒りすぎの高血圧には気を付けてください。

母へ
まずご飯を作ってくれてありがとう。母とは昔からよく話す仲だったと思うけど、高校に上がったあたりから、たわいもない話から競技やチーム、人生について相談していたなと思います。
夜遅くの練習を迎えに来てくれ、そのあとに一緒にご飯を食べながら話す時間はとても貴重な時間でした。
甘やかしてくれる時もあれば、厳しい言葉を言ってくれる母には何度も救われました。母として支えてもらうだけでなく、人生の先輩として母には成長させてもらえたと思います。ありがとうございました。
来年の健康診断ではウエスト7cmアップではなく、7cmダウンできるようにショコラのお散歩よろしくお願いします。

最後まで私のブログを読んで頂いた皆様、本当にありがとうございます。私の人生に関わってくれた皆様のおかげで、ここまで充実したアイスホッケー人生を送ることができました。
来年度からは社会人として一人前になって、かっこいいパパになることが当面の目標です。

16年間本当にありがとうございました!

#91 嶋貫一真

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門