氷上の軌跡 -#77 小原匠麿-

ブログをご覧の皆さんこんにちは。
いつもブログを見てくださり、ありがとうございます。
今年度もやってきました、氷上の軌跡。
本日は#77 小原匠麿がお送りします。
 
このブログを通して、私のアイスホッケー人生や今まで関わってきたすべての方々に感謝の気持ちを伝えていこうと思います。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
 
私がアイスホッケーと出会ったのは、幼稚園の時に行われたアイスホッケー大会でした。
優勝できなかったのは覚えていますが、その他は全く記憶にないです。(#91 嶋貫・#48 鈴木も同じ幼稚園です)
そこから私のアイスホッケー人生が始まるはずでしたが、そう簡単にスタートしませんでした。
 
小学生になったらアイスホッケーをやろうと決めていた私は、入学してすぐにアイスホッケーの体験入部に参加しました。
スケートリンクに着き重たい防具をもって移動していたところ、上級生の女の子に「邪魔だからどけろ。」と言われ私のメンタルは崩壊。
スケートも履かず、練習も見ないで帰宅しました。泣き虫でメンタルの弱い私にはかなりきつい言葉でした。

そこから2年間は部活に入らず普通の小学生でした。
スケートは昔から速かったので、冬に行われる氷上運動会ではアイスホッケー部を差し置いて1位をとっていました。
しかし、2年生の冬に行われた氷上運動会でアイスホッケー部の女の子に負け、そこでようやくアイスホッケー部に入る決意が出来ました。
【今のところ女の子ばかりに泣かされていますが、そこは触れないでください(笑)】

ここからやっと私のアイスホッケー人生がスタートしました。
始めてすぐに憧れの選手と出会い、毎日その選手の真似をしていました。
その憧れの選手は中央大学OB #77 齊藤大知さんです。
(現在はプロであるひがし北海道クレインズに在籍しています)

知っている方もいらっしゃるかと思いますが、大知さんに憧れすぎて幼稚園から大学まですべて大知さんのあとを追っています。背番号もです。
現在はビデオ電話をするほど仲良くなっていますが、今でも憧れです。
ブログを読んで赤面していることでしょう。ね、大ちゃん
 
大知さんの影響で中央大学に入学した私ですが、実は高校でアイスホッケーをやめようと考えていました。その理由は保育士になりたかったからです。似合わないですよね、、

それでも大学進学を選んだのは、自分の代での優勝を経験したいと思ったからです。高校まで、自分が最上級生の年に優勝したことがありませんでした。その目標を果たすために中央大学に入学することを決意しました。

入学して最初に思ったのは、ここで4年間やっていけるのかということです。おそらくこれは全員が思っていたことだと思います。掃除・洗濯・自炊・勉強・ホッケー。
なにより、4人部屋というのが1番心配でした。
ですが、部屋長ゆっきさん(2018年度卒 #18 佐藤優樹)、しゅうさん(2019年度卒 #11 植森脩太郎)、りくさん(2020年度卒 #18 徳光陸)のおかげで楽しい寮生活をスタートできました。正直、破天荒でぶっ飛んでる3人についていくのは大変でしたが、色々勉強させてもらいました。

そこから2年間インカレで優勝できず、優勝の難しさを実感しました。

3年目では、新型コロナウイルスの感染拡大を受けインカレが中止になり、秋のリーグ戦のみとなってしまいました。
この時の4年生の気持ちを考えると、正直辛いです。

その思いを背負い迎えた4年目。
最高の同期とできる最後のホッケー。
結果的には4位という不甲斐ない結果で終わってしまいました。目標は達成できず私のアイスホッケー人生は幕を閉じました。
もちろん、悔しい思いはありましたがそれ以上に中央大学生としての日々、チームメイトとの濃い日々を過ごすことができました。悔いはないです。
みんな、ありがとう。
 

ここからはアイスホッケーでの挫折、またその挫折を通して感じたことを書いていきます。
私が初めて挫折を経験したのは、大学1年生の時です。
これまではそれなりにアイスホッケーができ、試合に出れないことはありませんでしたが、大学1年生の春の大会では4セット目でのベンチ入りでした。試合に出れない悔しさ、親に対しての申し訳なさでアイスホッケーを辞めたいと思うこともありました。
どれだけ練習をしてもセットが上がらず、そのたびに悩んで練習して悩んで。悪循環に陥っていました。

ですが、スタッフの方々や先輩、同期に支えられアイスホッケーを続けることができました。
改めて、一人では何もできない、今の私があるのは周りの方々に恵まれているからだと感じました。
後輩のみんなに言いたいのは、周りの人たちの支えがあって今の自分があること。試合に出れなくてもホッケーがうまくいかなくても周りの人たちを大切にすること。
私が言えるのはこのくらいです。
 
最後に家族への感謝の気持ちを書いて終わろうと思います。直接言うのは恥ずかしいのでここに書かせていただきます。もう少しだけお付き合いください。
 
14年間、アイスホッケーをさせてくれてありがとうございました。
こんなお金のかかるスポーツでごめんね。小学生の時は知らなかったから許してください。
おそらく、この14年間は私のことばかりに時間を使わせてしまったと思います。
特に、怪我で心配をかける事が多かった気がします。3年生あたりからは、「試合頑張れ」よりも「怪我するんじゃないよ」のLINEばかりだった気がします。
これからは、私ではなく自分たちの時間を大切にしてください。
優花(姉)と精夏(妹)もありがとうね。ホッケー中心の生活で不満はあったと思うけど、文句ひとつ言わないで応援してくれてありがとう。
誰の応援よりも家族の応援が1番の支えでした。14年間ありがとうございました。
 
後輩へ
優勝を経験させてあげられなくてごめんね。
チームが負けたら4年生のせいだから、来年はそうならないようにキャプテン中心に良いチームを作ってください。応援してます。
 
マネージャーへ
いつも練習のビデオ撮影やハイライト作成、選手が練習しやすい環境を作ってくれてありがとう。マネージャーのおかげでチームが明るくなってます。これからもチームのために頑張ってください。
 
最後に、スタッフの皆さん、先輩の皆さん、後輩のみんな、マネージャーのみんな、応援してくださった全ての方々。
本当にありがとうございました。最高の4年間でした。
これからも引き続き、中央大学スケート部をよろしくお願いいたします。
 
 
#77 小原匠麿

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門