氷上の軌跡 -#73叶多洸大-

こんにちは、最後の二試合皆さんをハラハラさせ続けていた叶多洸大です。
 
自分のプレーによって寿命が縮んでしまった皆様本当に申し訳ありません。しかし、確実に私の方が皆さん以上に寿命の縮まる思いでペナルティーボックスに座っていました。
 
優勝が決まった瞬間も、優勝できたという愉悦感に浸りながらも、あのミス達が敗戦に繋がらなくてよかったと、ほっとする気持ちがかなり大きかったです。
 
とても反省しています。申し訳ございませんでした。
 
謝罪はこのくらいにして、氷上の軌跡を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?(笑)
 
下級生の時はいつもふざけてばかりの先輩たちがすごく格好いい文章を書いていて、4年生になったら自分もああいう文章を書けるようになるのかな~って思っていたのですが、やはり、ああはなれませんでした...
 
今回も例のごとく何を書くのか悩んでいるのですが、学んだことも皆さんにお伝えするようなこれだ!という物が思いつきませんし、家族への感謝もこのあいだしてしまったのでどうしようという感じです。
 
仕方がないのでthe氷上の軌跡といった感じで行こうと思います。良かったら一緒に辿っていってください。

私は小学2年生の時にアイスホッケーを始めました。家からどのスケートリンクへ行くにも1時間半かかる私がどうしてアイスホッケーを始めることになったかというと、公園で一緒にインラインホッケーをやっていたおじさんにアイスもやったらもっとうまくなれるよとそそのかされたからです。
 
そのままアイスホッケーの楽しさにハマり、クラブチームで楽しくやっていましたが、中学生になる時、一気に環境が変わります。「たまたま」チームが分裂し、とても怖いコーチのいるチームと合同を組むことになり、楽しむだけのホッケーではなく、勝ちに行くホッケーをすることになったのです。私は最初の練習でコーチが怒鳴りまくっているのを見て「えっ?怖すぎるんだけど、ついていけないんだけど、やめようかな?」と思いました。
 
しかし、この時、すぐに逃げないで頑張ってみた私に「よくやった」と言ってあげたいです。何故なら、このコーチの指導を受けて、ある大会に参加していなかったら、ここまでホッケーを続けてこられなかったと思うからです。
 
ある大会というのは関チビ(関東少年アイスホッケー選手権大会)という大会です。中学で全国大会に出ているような人からしたら関東大会とかしょぼくない?と思うかもしれませんが、私にとっては、さらにホッケーにハマるきっかけとなった重要な大会でした。1回戦から東京の強豪チームと当たり、厳しいな~と思いながら大会に臨みましたが、自分や周囲の予想を覆し、ベスト4という結果を残しました。この大会の、格上の相手に勝つという経験は、私に、勝利の気持ちよさを教え、ホッケーにさらにハマらせていきました。
 
高校では、周りの雰囲気に流され、練習や陸トレも頑張りつつ、楽しい生活を送っていました。今思えば、全然頑張れていなかったと思います。しかし、そんな時、選抜大会の後にあったU18のキャンプに、「たまたま」けが人が出て参加することになりました。
 
このキャンプでは、北海道のすごい選手と一緒に練習をし、大きな差を痛感させられました。この経験から、こういう選手と戦えるくらいの選手になりたいなと思い、ウエイトやシュート、ハンドリングなどの練習に自主的に取り組むようになりました。
 
その結果かどうかはわかりませんが、「たまたま」中央大学に声をかけていただくことができました。
 
はっきり言って、自分なんかが日本一になってしまうような大学に入っても試合に出られるわけがない。しかし、指導者になった時の為に、試合に出られなくてもいいから、日本一の練習や陸トレに参加し、ホッケーに関する様々な知識や技術を身に付けるものありだなと思い、入学を決めました。
 
そんな緩い覚悟で入学を決めてしまったばっかりに、最初の合宿でレベルの差を痛感し、「あっ4年間試合に出られないな」と思ってしまいました。
 
春の合宿で4年間出られないなと思っていた私ですが、早稲田との練習試合で「たまたま」良いプレーができ、ベンチに入れる事になります。さらに蓑島さんが代表の試合でいなくなってしまい、まさかの3セット目で春の大会を迎える事になりました。
 
そんな私も、準決勝までは周りに助けられ、何とかこなしていました。しかし、決勝では、観客の多さによって半端じゃなく緊張し、さらに、初めての明治戦で訳のわからないほどガンガン抜きにくるし、そこは通らないでしょってとこにパスを通され、何もできず、途中でセットを外されてしまいました。
 
この試合で私は、自分に何が出来るかというだけでなく、何をしなければならないかをもっと考えてから試合に臨むべきで、そうすればあんなにパニックにならないですんだかもしれないと、とても反省しました。
 
また、この大会に運よく出られてしまったことで、お前にはまだまだ実力が足りないと突きつけられ、私の目標は知識を身につけたいなどと言う半端なものではなく、もっとホッケーを上手くなってチームに貢献したいという目標に変わりました。
 
急に話が変わりますが、中央は受け身な選手が成長できる環境ではありません。入学前、中央はシステムがしっかりしていて、厳しい指導の下、練習を行っているのだろうと思っていましたが、全くの逆で、ほとんど選手が自分たちで決めていくという形でした。つまり、ホッケーの知識や技術を教えてもらいたいな~なんていう受け身な目標を持っていた私には一番向かない環境だったのです。そのため、こう言ってはなんですが、1年生の春という早い段階で挫折を経験できてよかったなと思っています。
 
目標設定をし直した私が成長出来たと思える点としては、2つあります。1つ目は、2年生の時にスティックの曲がりを変えたということです。変えた結果、ずっと感じていたシュートの打ちづらさが改善されただけでなく、シュートの速さが劇的に速くなりました。やはり、自分に合った道具を使ったほうが、良い結果を出すことができるのだと学びました。
2つ目は、ウエイトトレーニングです。高校生までは知っているメニューをこなしているだけでしたが、先輩たちのようなマッチョになりたいな~と思い、ネットやYouTubeのメニューを取り入れることにしました。短期間で大きな変化があった訳ではありませんが、地道に取り組み続けたところ、スクワットやベンチプレスなどの数値を上げることができ、心なしか1年生の時より当たり負けすることが減った気がしました。
 
なんだかんだありまして、4年目です。
 
今年は、キャプテンを中心に4年生で協力して良いチームを作ろうねと始まりましたが、コロナのせいですぐにチームは解散することになってしまいました。
 
何でよりによって自分らの年なのだと恨めしく思いましたし、みんなでホッケーができたのはたった3か月だけで、もっとしたかったなという後悔もあります。しかし、優勝という最高の最後を迎えられて、終わりよければすべてよしなのかな~とも感じています。
 
こうして今までのホッケー人生を振り返ると、中学の時、「たまたま」あのコーチの指導を受けたから、高校生の時、「たまたま」U18のキャンプに参加できたから、大学1年の時練習試合で「たまたま」いいプレーをできたから、私のホッケー人生は様々な「たまたま」が重なって運よく良い方向に進んできたなと感じます。中央大学に入れて最後の大会で優勝できたのもこの「たまたま」が重なってできたことです。つくづく、私は本当に運のいい人間だなと思います。
 
このように、これまでの私は自分で決断するのではなく、流れに身を任せて生きてきてしまいました。しかし、今後は「たまたま」という運に任せて生きるのではなく、自分で努力した結果、道を切り開いていける強い人間にならなければならないと考えています。
 
結局私の軌跡を辿っただけで、ありがたい御言葉も何もないブログになってしまいました。
 
しかし、それが叶多らしいということで...許してください...
 
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
 
以上、叶多洸大の氷上の軌跡でした!

 
追伸、部屋っ子に自分を登場させろと言われたので書いておこうと思います。
 
本文には出演できませんでしたが、我が部屋っ子「矢島、荒木、石川」の駒澤3兄弟は、みんな武相の人とも仲良くしてくれるいい子たちです。短い間ではありましたが、とても楽しく過ごすことができました。
 
3人とも素晴らしい選手で、来年は中央の主力として大いに活躍してくれること間違いなしです。
 
皆様、来年度も、特に我が部屋っ子達に注目しつつ、中央大学の応援よろしくお願いいたします。

#73 叶多洸大

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門