氷上の軌跡 -#16伏見岳土-

皆さん、こんにちは!
ブログにアクセスいただきありがとうございます!
「氷上の軌跡」2020ver. 4番手で書かせていただきます。#16伏見岳土です。


毎年、先輩方が書くこのブログを楽しみに読ませていただいていましたが、まさかこんなにもあっという間に、自分が書く側になってしまうなど思ってもいませんでした。
思い返せば入寮初日、同部屋の先輩だった合田聖さん(以下ごっつ)の「大切に大切に」コレクションされていた調味料を全て捨ててしまい、普段温厚なごっつを大激怒させたという大事件から、大学生活がスタートしたことは記憶に新しいです。
ごっつ見てるかな?あの時はごめんね…

今年も先に書いた3名の、思わずハンカチを片手に読んでしまうような、読者に感動を与える内容にプレッシャーを感じておりますが、せっかくの機会なので自分なりにアイスホッケー人生を振り返っていけたらなと思います。
是非、最後までお付き合いください!


15年弱のアイスホッケー人生が一区切りしましたが、正直まだまだ実感が湧いていないのが正直なところです。きっと同期のみんなもそうだとは思うけれど、常に生活の中心にアイスホッケーを置いた生活を長年やってきたんですから無理もないですよね。
早朝4:45に無理矢理身体を起こし、眠気を押し殺しながら銀河アリーナ(練習拠点)に向かう生活が、もうないと思うと少しばかり寂しい気持ちになります。しょっちゅう、めんどくさいな~。なんて思いながらこなしていた毎日ですが、なんだかんだあの朝が好きだったんだな~って思います。


私がアイスホッケーを始めたのは小学校2年生の時です。
当時のそれまでの夢は、ズバリ「プロ野球選手」でした!甲子園に出て、読売ジャイアンツに入団する気でいたはずなのですが、たまたま同じクラスいた名前が「なまえ」とかいう面白いヤツ(現・早稲田大学#9生江太樹)と仲良くなってしまったことでアイスホッケーに誘われ、プロ野球選手の夢は消滅しました。
それからは、本当にいろいろありました。

小学校6年生の全道大会で、肩を怪我して手術。死ぬ気で間に合わせようとリハビリに励んだにもかかわらず、全国大会(風越カップ)は東日本大震災の影響で中止。

鳥取中学校に入って坊主頭になり、3年目で迎えた全国大会では、準決勝で、陸と明朗が率いる日光中との激闘を制し、決勝では、卓がゴールを守る釧路西部に敗れ全国準優勝。
この時は、対戦したみんなと同じ大学で同期になるなんて、1ミリも考えられなかったな…

釧路江南高校に入学してからは、アイスホッケーに割く時間以上に勉強にも時間を割かなくてはいけませんでした。土日、遠征先で4試合し、日付が変わる頃に帰宅し、一睡もせずにテスト勉強に明け暮れ、月曜朝からのテストに備えた日々は、それはそれで地獄でした。高校で大きなタイトルを獲ることはできなかったけど、まさに文武両道を仲間と貫いた3年間は、これからの自分にとって大きな土台になりました。

そして、中央大学に入ってからは、辛いことが大半を占めていました。もともと、スーパースターでも何でもない自分が、大学トップレベルのチームで試合に出ることが簡単ではないことは重々理解していたつもりでした。ただ、現実はそれ以上で、想定していた何倍ものチームメイトとの実力差を目の当たりにし、完全に自信を失いました。挫折という言葉がふさわしいかは分かりませんが、就活では多用させていただきました(笑)。「こんなの努力で埋まる差じゃない」なんて勝手に決めつけて、逃げている自分もいました。ただ、どんな理由や背景があろうと、このチームでアイスホッケーを続けると決めた以上、どんな結果になろうと責任は自分にあるということを、這い上がった同期や後輩の姿を見て学びました。4年間、試合をスタンドで見ることが多かった自分でも、ベンチに入れた時の喜びや、少なくてもシフトがあった時の嬉しさは格別だということを知っています。知っていても最後にレギュラーを勝ち取ることができなかったのは、自分の努力不足です。でも、4年生として迎えた最後のリーグ戦で優勝できたことは本当に嬉しかったです。4年間辛いと感じる時間が長かったけど、全てが報われたような気がしています。中央大学でホッケーができて本当に良かったと心の底から思っています。


(左から#48 鈴木創士、中央上#39 阿部隼士、中央下 #40 佐藤佑哉、右#16 伏見岳土)
と、ここまで簡単にアイスホッケー人生の振り返りをさせてもらいましたが、書いていて改めて伝えたいと思うことはやっぱり感謝の気持ちです。今、こうして充実した心境(内容はさておき)でブログを書くことができているのも、これまで関わってくださった全ての方々のおかげです。各カテゴリーで出会った指導者の方々、リンクや練習施設を管理して下っている方々(早起きしているのは自分たちだけではありません。)、大会を運営してくださっている方々、他にも数えきれないほどの関係者の方々の尽力があり、アイスホッケーを思う存分プレーすることができています。本当にありがとうございました。
そして何よりも、家族の支えなしにここまで来ることはできませんでした。突然、「ホッケー部に入りたい」と言い出した自分に一切反対することなく、これまで15年間文句の一つ言わずに、毎日の送り迎えや、他のスポーツと比べても高いお金を負担し続けてくれました。にもかかわらず自分は、練習が嫌だとか言ってみたり、しょっちゅう怪我をしては心配をかけ、本当に申し訳なかったなと思っています。大好きなホッケーをこんなにも不自由なく続けさせてもらって、両親には本当に感謝してもしきれません。父さん、母さん、ありがとう!
そして、弟にも感謝の気持ちを伝えたいです。自分がこれまでホッケーを続けてきたことで、我慢しなきゃいけないこともたくさんあったと思うし、自分がホッケーでイライラしたことがあると理不尽に当たってしまうこともあったけど、それでもここまで応援し続けてくれてありがとう!

最後に、後輩たちへ一言。
大学での4年間、自分の信じるやり方で構わないから挑戦と努力を繰り返してほしいと思います。それが良い結果として現れるかは分からないけど、後悔することはないと思う。挑戦して得られる経験は一生ものだし、いろんな挑戦ができるチャンスがあるのは大学での4年間だけだと思う。ホッケーはもちろん、どんなことでも、終わった時に後悔が残らないよう頑張って!応援しています。

ブログを書き始めるとき、そんなに書くことがあるか不安でしたが、気づけばかなりの長文になってしまいました。この辺で終わりたいと思います。
中央大学で最高の仲間たちと過ごした4年間は一生の宝物です。こんな自分と関わっていただいた皆さん、本当にありがとうございました。

最後までブログを読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。引き続き、中央大学スケート部への応援を宜しくお願い致します。

#16 伏見 岳土

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門