氷上の軌跡 -#9石毛力-

皆さんこんにちは。
毎年恒例、中央大学4年生がお送りする「氷上の軌跡」2020ver.の季節になりました。
我々4年生の中央大学での思い出やアイスホッケーに対する熱い想いを皆さんにお届けしようという企画です。

今年のトップバッターを務めさせていただきますのは、背番号9番、石毛力です。
毎年、この「氷上の軌跡」はいつも身近にいる先輩たちの熱い話を見ることができるので楽しみにしていましたが、自分が書く番になった今回は引退を実感してちょっぴり寂しい気持ちになりました。

たしか、昨年の1番手は#11植森さんだったと思います。実は真面目だった彼のブログに負けないくらいの感動をお届けできればと思います。
ちなみに植森とはマブダチです。

前置きはここまでで、2020年の12月6日でアイスホッケー人生からの引退を迎えて、これまでの18年間を振り返るとたくさんの思い出がありすぎて、全て話しきるのは難しそうです。出来るだけわかりやすく、読みやすい文章になるように心掛けて書きますので最後まで読んでくれたら嬉しいです。
また、サンボマスターの「できっこないをやらなくちゃ」をBGMに流しながら読んでいただくと良い雰囲気が出ると思います。

私がアイスホッケーを始めたのは5歳のときです。きっかけは当時テレビで放送されていたアイスホッケードラマ「プライド」を見て、氷の上を颯爽と滑るイケメン俳優陣に魅了されたからです。そのときから背番号は9番です(笑)。

その後はただただアイスホッケーの虜になっていきましたね。
ゴールを決めたとき(特に肩口)、相手を抜いたとき、試合に勝ったとき、優勝カップを持ったとき、選抜に選ばれたとき、仲間と打ち上げするとき、数えきれないくらいの「最高」があるこんなスポーツを辞めるなんて出来ませんでした。

でもホッケーを続けるにはたくさんのお金が必要で、夜遅くの送迎だって必要でした。ただでさえ裕福な家庭ではなかったのに、母ちゃんにはたくさんの苦労をかけたと思います。
しかし、中学3年生の私はそんな母ちゃんへ感謝の気持ちを伝えるどころか天狗になっていて、北海道の高校に行きたいと言い出しました。

その時の私が関東で一番うまくて、U16日本代表にでも入っていたならまだしも、ろくに練習もせず、試合でもたいして活躍していなかった奴がよくもこんな失礼なことを言えたものです。
こんな親不孝ものは滅多にいないと思います。もし私の子供がこんなことを言い出したら、ひっぱたいていますね。
それでも母ちゃんは最終的に北海道に行くことを許してくれました。
母ちゃんには頭が上がりません。

そんな高校では初めての挫折を経験しました。少しこの挫折について話したいと思います。

「東京の同年代ではほぼ敵なし。当時のライバルは、明治大学の日サロマスターこと#29下本くらい。」

とただの勘違いで天狗になっていた私が北海道の苫小牧東高校に行ってもそりゃあ1年間試合に出られないのは当たり前ですよね。
でも挫折は試合に出られなかったことじゃなくて、出られない理由を監督・コーチ、先輩などチームの責任だと言い訳ばかりで練習も一切せずに胸を張って堂々としていた自分がいたことです。

そのことに気がつき、とてつもない後悔と恥ずかしさを知ったことが挫折です。人生で初めての挫折でした。

その勘違いを気づかせてくれたのは、私の大好きな母ちゃんです。
母ちゃんの気づかせ方はすごいんです。
高校1年生のお正月の帰省のとき、母が空港まで車で迎えに来てくれました。
帰りの道中、車の中で僕がいつもの勘違い発言をしたときですかね、急に母が怒り出して、自分の勘違い思考を頭から全て粉砕して正してくれました。空港から家までは約1時間、その間に母の口が閉じることはありませんでした。
この挫折から自分の身に起きた困難を人や環境のせいにすることのかっこ悪さと母ちゃんが本気で僕のことを応援(スパルタ式)してくれていたと知りました。

挫折から這い上がるのには時間はかかりませんでした。
ウエイトメニューのやり方を調べたり、基礎のハンドリングもしました。試合のビデオを見て、ホッケーノートも書きました。
自分なりの努力を重ねて試合に出場した高校2年生の全国選抜大会は最高の気分でした。
この最高の気分に恋い焦がれて、絶対に敵わないチームメイトがいる大学で努力して取ったレギュラーの気持ちはさらに最高の気分になるのではと思い、中央大学に進学を決めました。

でもこの大学4年間はめちゃくちゃつらかったです。まじで。
1年目の春合宿で先輩からも同期からも嫌われてしまったあっちの方のつらい思い出は割愛させていただきます。

話を戻しますが、中央大学の先輩や後輩はみんなうまくて練習してもしても実力差が一向に縮まりませんでした。何回も落ち込んで、練習するのが嫌になったことも何度もありました。
それでも完全に努力をやめたことはなかったと思います。なんとなくだけど、努力しなくなったらほんとに試合に出られなくなる気がして、その可能性がゼロになる気がしたからです。もっと大きな理由としては努力してない姿を母ちゃんが見たらどう思うのかなって、よく考えていました。そんな姿見せたら即怒られるし、こんなに苦労させているのに失礼だなって感情が大きかったと思います。
その想いを持ち続けてちょっとずつだけど練習してこられたおかげで、4年目の最後でこんなにたくさん3セット目で試合ができたんだと思いたいです。でも結構運はついてたと思います。

ほんとはもっと1年目から試合に出てもっと活躍する姿をもっと母ちゃんや家族に見せたかったけど、おそらく全然努力が足らなかったんだと思います。
でもやっとの思いでレギュラーを掴めて、人生最後の試合で先制点のアシストを取れた試合で優勝なんかしちゃった私のホッケー人生はやっぱり最高でした。母ちゃんには何とか滑り込みで「結果」の恩返しをすることが出来たと思っています。試合が終わって大泣きしなかったのは、だいぶホッとしてたからですかね。

この18年間のアイスホッケーは辛いこともあったけど、その10倍は楽しい時間を感じたし、もう2度できないような経験もたくさんできたと思います。
あとホッケーを通じてたくさんの人や仲間とも出会えました。こんな体験をさせてくれた母ちゃんにはこれから恩返しをしていくつもりです。兄と姉にも。

そろそろ締めに向かおうと思いますが、このブログを通して何が言いたいかとか自分の考え方を紹介するとかそういうのはないです。これまでのアイスホッケーに僕がどんな想いを持ってやってたかなって自分が再確認する感じで書きました。これが一番石毛力の氷上の軌跡なると私なりの解釈で書いてみました。
大変長くなりましたが、ここまで飽きずに読んでいただきありがとうございます。
もうこういった機会がないと思い、気づいたらここまで長くなっていました。

最後になりますが、これからも中央大学アイスホッケー部の応援をよろしくお願いします。
#9  石毛力

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門